1. HYBE x Geffenの野望とKATSEYEの誕生
すべては、HYBEとゲフィンレコードという二つの音楽業界の巨人が手を組んだことから始まりました。彼らの共通の目標は、アメリカのロサンゼルスを拠点としながら、世界的に成功を収めているK-POPのトレーニング方法論を導入し、これまでにない「真のグローバルガールズグループ」を創り出すこと。これは、K-POPシステムがアメリカの地でどのように機能し、進化できるかを探る壮大な試みでもありました。
この野心的なビジョンの下、世界中から才能が集められました。韓国、アメリカ、日本、イギリスなど、世界各地から12万人を超える応募者が集まったという事実は、このプロジェクトへの並々ならぬ関心の高さを物語っています。厳しい選考を経て選ばれた最終候補者20人が、後にKATSEYEとなる運命を共有することになったのです。
グループ名KATSEYEは、宝石のクリソベリル、日本語で言う「猫眼石(びょうがんせき)」に由来します。猫眼石が角度によって様々な光を放つように、フィリピン、アメリカ、スイス、韓国など、多様な国籍と文化的背景を持つメンバーたちが、それぞれの個性と才能を輝かせ、一つになった時に見せるシナジー効果を象徴しています。面白いエピソードとして、元々は「Catseye」でしたが、メンバーのララの提案でスペルが「Katseye」に変更され、「その方がクールだ」とメンバー全員が同意したそうです。
KATSEYEの核心にあるコンセプトは「多様性」と「姉妹愛(Sisterhood)」です。異なる文化を持つメンバーが集い、国境や文化の壁を越えて人々を繋ぐ存在を目指します。彼女たちは、単に多国籍であるだけでなく、互いの文化を尊重し学び合う中で、過酷なトレーニングを共に乗り越え、本物の「姉妹愛」を育んできました。この絆は、グループのアイデンティティの重要な一部となっています。音楽的にも、K-POPと西洋ポップのどちらか一方に偏るのではなく、その中間地点で独自のカラーを追求し、世界中のファンにアピールすることを目指しています。
2. 試練の旅:ドリームアカデミーと成長
KATSEYEメンバーたちの物語は、ロサンゼルスで行われた高強度のK-POP式トレーニングから始まりました。これは単なる歌やダンスのレッスンではなく、ボーカル、ダンス、態度、スター性、チームワークといった多角的な評価と成長を要求される過酷なプロセスでした。特筆すべきは、このシステムが多様な文化的背景を持つメンバーたちのために、メンタルヘルス管理などを含め、慎重に調整された点です。これはK-POPシステムの利点を活かしつつ、グローバルな環境に適応させようという試みでした。
しかし、Netflixのドキュメンタリーシリーズ「ポップスターアカデミー:KATSEYE」が示すように、この過程は参加者にとって計り知れないプレッシャーと精神的な負担を伴うものでした。デビューの保証がない中での絶え間ない競争、そして特に突然導入された大衆投票ベースのサバイバル番組「ザ・デビュー:ドリームアカデミー」は、彼女たちに大きな混乱とストレスを与えました。この厳しい環境は、K-POPシステムの効率性と、その裏にある人間的な苦悩や成長の両面を浮き彫りにしました。言語や文化の違いを乗り越え、共通の目標に向かう過程自体が、彼女たちにとって大きな試練であり、成長の糧となったのです。
「ザ・デビュー:ドリームアカデミー」は、3つのミッションとライブフィナーレで構成され、ファン投票が結果に大きく影響しました。ミッション2では韓国に渡り、HYBE本社でのトレーニングやファンミーティングを経験するなど、K-POPの本場を直接体験する貴重な機会も得ました。番組では、厳しい競争の中で育まれた「姉妹愛」が繰り返し強調されましたが、同時に、規則違反や練習不参加といった困難、メンバー間の微妙な緊張感なども描かれました。リアリティ番組である以上、編集によって特定のストーリーが強調される可能性はありますが、これらの経験すべてが、KATSEYEというグループ独自の物語を形成する上で重要な要素となったことは間違いありません。
3. メンバー紹介①:ソフィア、ララ、ダニエラ

KATSEYEを構成する6人の輝く才能たち。まずは前半の3名、ソフィア、ララ、ダニエラを紹介しましょう。彼女たちはそれぞれ異なる背景と強みを持ちながら、「ドリームアカデミー」という試練を経て、見事にデビューの座を掴み取りました。
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ソフィア (Sophia Laforteza / フィリピン系 / リーダー、リードボーカル): ドリームアカデミー最終1位。フィリピンの有名歌手を母に持ち、幼少期から歌とダンスに親しむ。安定したボーカル力とステージでの存在感、そして仲間を支えるリーダーシップで、参加者からも絶大な信頼を得ていました。ENFPらしく情熱的で思いやりがあり、グループの精神的な支柱です。シンボルは「ドリームアンカー⚓」。
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ララ (Lara Rajagopalan / インド系アメリカ人 / メインボーカル): ドリームアカデミー最終2位。4歳から訓練を受け、女優やモデルとしても活動経験あり。優れたボーカルテクニックとR&B的な感性が光り、審査員からも高く評価されました。南アジア系の代表として、多様性を体現する存在でもあります。自身のアイデンティティを堂々と示し、ファンに勇気を与えるロールモデルです。シンボルは「メロディーチェイサー🎼」。
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ダニエラ (Daniela Avanzini / ラテン系アメリカ人 / メインダンサー、ボーカル): ドリームアカデミー最終3位。幼少期から国際的なボールルームダンス大会で活躍し、「アメリカン・ダンスアイドル」にも出演した経歴を持つ、卓越したダンサー。ドリームアカデミーではダンスだけでなくボーカルも大きく成長させ、「スター性」を高く評価されました。エネルギッシュで努力家な一面も。シンボルは「シンフォニー・トップ🩰」。
彼女たちの物語は、それぞれが持つ才能や経験を、K-POPという新たなシステムの中で磨き上げ、グループとして輝くために努力を重ねてきた証です。リーダーシップ、圧倒的な歌唱力、卓越したダンススキルと、それぞれがグループに不可欠な色を加えています。
4. メンバー紹介②:ユンチェ、メガン、マノン

続いて、KATSEYEの後半メンバー、ユンチェ、メガン、マノンをご紹介します。彼女たちもまた、個性的なバックグラウンドと才能を持ち、厳しい競争を勝ち抜いてきました。
ユンチェ (Yoonchae Jeong / 韓国 / ダンサー、ボーカル): ドリームアカデミー最終4位。グループ唯一の韓国人メンバーで最年少。韓国での練習生経験(HYBE所属と推定)を持ち、当初から高いダンススキルとカリスマ性で注目されました。最大の挑戦は言語の壁でしたが、LAでの生活を通して驚異的なスピードで英語を習得。ポジティブなエネルギーと愛らしい魅力でメンバーからもファンからも愛される存在です。シンボルは「スージングシェル🐚」。
メガン (Megan Skiendiel / 中国・シンガポール系 & スウェーデン系アメリカ人 / リードダンサー、ボーカル): ドリームアカデミー最終5位。ハワイ出身で、幼少期からLAに通いトレーニングを受ける。パリやLAのファッションウィークに参加したモデル経験もあり、ビジュアル面でも注目されています。ダンスとボーカルをこなすオールラウンダー。完璧主義や自己不信といった内面的な課題を乗り越え、自信を深めていく成長物語が多くの共感を呼びました。シンボルは「花咲く蓮🪷」。
マノン (Manon Bannerman / ガーナ系 & スイス・イタリア系 / センター、ビジュアル、ボーカル): ドリームアカデミー最終6位。スイス出身で、正式なダンス経験なしという異色の経歴ながら、その独特なオーラと魅力で序盤から高いファン人気を獲得。モデル経験があり、作曲もこなす多才さも。練習態度などで困難も経験しましたが、ファンの熱烈な支持を受けデビューを掴みました。彼女の物語は、K-POPシステムの評価基準とグローバルファンの反応の間の興味深い関係性を示しています。シンボルは「クイーンズオニキス👑」。
ユンチェの言語習得、メガンの内面的成長、マノンのスター性。それぞれが異なる課題を乗り越え、グループに多様な彩りを与えています。彼女たちの存在が、KATSEYEを単なるK-POPグループでも西洋ポップグループでもない、独自の存在へと押し上げているのです。
5. デビュー後の歩みと現在の姿

「ドリームアカデミー」を経て結成されたKATSEYEは、現在ロサンゼルスで共同生活を送りながら、チームワークを深めています。2人1部屋で暮らし(ユンチェ-ソフィア、メガン-ララ、ダニエラ-マノン)、共通の目標に向かって努力する日々そのものが、彼女たちの固い「姉妹愛」の基盤となっています。単に一緒にいるだけでなく、互いの文化を積極的に学び、尊重し合う姿も見られます。例えば、秋夕(チュソク)には皆で韓服を着て写真を撮ったり、インド系アメリカ人のララが韓服にビンディを合わせたりするなど、グループ内の多様性を自然な形で祝福しています。マノンが語ったように、この多様性こそがKATSEYEの最大の強みの一つなのです。
彼女たちの公式デビューは2024年6月28日。デビューシングル「Debut」は、パワフルで若々しいポップトラックで、ダイナミックな振り付けが特徴でした。続くセカンドシングル「Touch」(2024年7月)は、メンバーのボーカルを際立たせたR&Bトラックで、TikTokでのダンスチャレンジがバイラルヒット。ビルボードのBubbling Under Hot 100チャートやフィリピンのチャートにもランクインする成果を上げました。
そして、2024年8月16日には、初のEP『SIS (Soft Is Strong)』をリリース。これは、共にトレーニングを乗り越える中で見つけた姉妹愛と強さをテーマにした作品で、米ビルボード200チャートにもランクインしました。EPには「My Way」や「Gnarly」といった楽曲も収録されています。デビュー初期から、2024年のMAMAアワード(LAラムズチアリーダーとの合同公演)や、モール・オブ・アメリカでの公演(完売記録)、ジングルボールツアーへの参加など、精力的な活動を展開してきました。
6. 業界の視線と未来への期待

KATSEYEは、メンバー個人としてはもちろん、グループとしても大きな目標を掲げています。授賞式での受賞や、世界中のファン「アイコンズ(EYEKONS)」との出会いを夢見ており、より大きなステージへの意欲を示しています。
音楽業界では、KATSEYEはHYBEがK-POPの枠を超え、真のグローバル化を達成しようとする試金石として注目されています。彼女たちの成功は、K-POPシステムがアメリカ市場でも通用し、さらに進化できることを示す重要な事例となるでしょう。Teen Vogue誌が2024年に注目すべきガールズグループの一つとして彼女たちを選んだことからも、その期待の高さがうかがえます。HYBEとゲフィンレコードは、彼女たちの成功のために莫大な投資を行い、積極的なマーケティングを展開しています。
今後の注目点をリストアップしてみましょう。
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音楽的アイデンティティの確立:K-POPと西洋ポップの融合をどのように独自のサウンドとして定着させるか。
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継続的なヒット:デビュー初期の成功を維持し、さらなるヒット曲を生み出せるか。
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グローバルファンダムの拡大:多様なバックグラウンドを活かし、世界中のファン層をさらに広げられるか。
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メンバー個々の成長と活躍:グループ活動と並行して、メンバーそれぞれの才能がどう開花していくか。
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HYBE x Geffenモデルの成否:彼女たちの成功が、今後のグローバル音楽業界の協力モデルにどう影響するか。
初期のYouTube登録者数など一部の指標については、他のHYBEグループと比較してやや伸び悩んでいるとの見方もありましたが、「Touch」のバイラルヒットやEPのビルボードチャートインは、確かな勢いを示しています。KATSEYEは単なる新人グループではなく、HYBEとゲフィンのグローバル戦略、そしてK-POPシステムの拡張可能性という大きな期待を背負っています。彼女たちの成功は、今後の音楽業界の動向に大きな影響を与える可能性を秘めているのです。